雑 記 帳



身のまわりの、気にとまったこと、目にしたことを、書き留める。
日記となるのか、ひとり言となるのか・・・。

by 河野 正


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2001年12月□日
小林和教さん設計の「北幸ぐうはうす」見学会。
横浜駅近くの立地抜群の賃貸マンション。
ワンルームからメゾネットの2LDKまで豊富なバリエーション。
PC版スラブの上げ裏天井は、深いリブで魅力あるデザインを作っている。
メゾネットタイプの吹き抜けや、大きなデッキバルコニーは、
賃貸マンションとしては出色だろう。
いわゆるデザイナーズ・マンションとして空き待ちになるのかも・・。




2001年12月□日
友人大井君から メール連絡。
「サンデー毎日」今週号に、彼が書いた「書評」が掲載されているので、
読むよーに! との由。
やはり中学同級だった、西垣君の「IT革命」(岩波新書)について。
西垣君は偉くなって ときどき、朝日新聞で見かけたりする。
読むことにしょう。 

2001年12月□日
JIAデザイン部会の八木沢先生の会。
言わずと知れた「葬祭空間」の第一人者。
世界各地の葬儀の風習や 火葬場、墓地の状況など、
興味の尽きない話を数多く伺った。
先生の作品の香川県「しずかの里」の施主(自治体)への
プレゼンのストーリーは面白かった。
谷間の中央に見える「讃岐富士」を娑婆の象徴とする。
荼毘にふした死者を見送って、参列者が帰る時にこれを見せる演出。
拮界を作って山側を「あの世」とするなど、火葬場はある意味
「純粋建築」だなと感じた。


2001年11月□日
JIA建築セミナー  服部真澄さんを お迎えして、「消えなかった民家」と題する講演会。
服部さんへはのラブコールは、3年越しになるだろうか。
作家の方の執筆スケジュールは、我々には計り知れないところがある。
思い返すと一昨年に断られたのは、「ディールメーカー」の取材と執筆のため
だったのかと尋ねたら、そうではなくて この次に出る作品のほうらしい。
小説家というのは、ひとつのものを多面的に観る人間、
常にクロスチェック、複数検証を行うという。
至極当然で基本的な話しなんだが、あのように数々の傑作作品を書いている
人の口から聞くと、今さらながらに頭が下がってしまう。
そして、建築家はものを壊す職業、壊さなければ建てられない と言う。
「骨董市で家を買う」の著者の言葉として重くうけとめました。

2001年11月□日
「海の博物館以降」と題する、内藤廣委員長の講演会。
冷たい雨降りだったにもかかわらず、
なんと あの有楽町マリオンの朝日ホールが超満員でした。
「今まで、迂回路をとって 自分を述べることが多かったが、それは
とりもなおさず、バトルよりも、現場・事務所を大事にしたかったから。」に始まり、
ストレートな お話を数多く聞くことが出来ました。
「海の博物館」時代の、恩師のお言葉「10年間は同じ穴を掘れ」に
触発されたことや、コンペの当選・落選のお話しなどなど・・・。
なかでも「住宅を手放した瞬間、建築家はダメになる。」の言葉は
力強く聞き入ってしまいました。
事務所内では、常時 2件以上の住宅が動いているとの由。
大変に嬉しかったです。


2001年10月□日
MM21で開催中の「横浜トリエンナーレ」へ、わが愛車チャリンコ号で行く。
何はともあれ、インターコンチネンタル・ホテルに生息する巨大バッタと、赤れんが倉庫前の
小野ヨーコの銃弾貨車を目指す。
貨車は迫力あった。
薄闇にこぼれ出る銃弾跡からの輝きと、天に一直線に昇る光が「平和」を
求めているように感じた。
それが、身体にズンズンとくる音楽とあいまって、周辺は異次元を作り出していた。

             

2001年10月□日
恐れ多くも、下のコーンウェル評を書いたら、
桜子さんから大クレームが来てしまいました。
ごめんなさい、是非とも「警告」読みます。

2001年10月□日
P・コーンウェルの「審問」上・下を読み終える。
1冊で充分だった、の読後感。 
はっきり言って、お勧めではなかった。
こちらの落ち度は、前作「警告」を読んでなかったこと。 それでもな〜。

最近、こんな本が続いてしまう。読み終わって満足できないことが・・・。

花村満月はその代表。
「ぢん・ぢん・ぢん」「皆月」「ジャンゴ」と、ぜんぜん期待はずれ。
どうも「鬱」あたりから、花村氏の目指す方向が違ってきたようだ。
思えば、今からはるか10年近く前「本の雑誌」で初めて花村氏を知った。
忘れもしない、今は亡き(?)坂東齢人氏の紹介だった。
(当時は馳の ハの字も無かった。
        「深夜+1」のカウンター内のことはあったような気がする。)
「ブルース」の、日本刀の刃を思わず握ってしまった男の指がこぼれ落ちるシーンでは、
こちらにまで痛みが伝わってくるように感じたものだ。
「重金属青年団」「笑う山崎」「渋谷ルシファー」と みんな、みんな大満足で読んだ。 
出来ることなら、あの興奮をまた味あわせてもらいたい。



2001年10月□日
代々木上原のギャラリー「YORI」で 森田(笠間の森田陶房)の個展。

なんと高校時代の友人 IN君が若い奥さんを連れて来ていた。
30余年ぶりだが、お互いバカ話しできる昔の友達はよいものだ。

今日 会いたかった人、桜子さん(「Midnight+1」のマドンナ)は 
残念ながら来ていなかった。
オーナーの頼子さんに、あーだこーだと いろいろ尋ねるが、わかる筈がない。
日曜日には来るらしいので、後で詳しく聞いてみようか・・。

森田は昨日の搬入で、腰を痛めたそうで ヨロヨロしていた。
若くないんだから、気をつけるよーに!

なんか、いつにもまして作品そっちのけで、飲んでしゃべってばかりいた。
ごめん! 写真をUPしておくから・・。



2001年10月□日
JIA建築セミナーのホームページが正式スタートとなる。
ホームページ担当としては、ここ3ヶ月ほど、走り廻ったり 声かけまくったり 
メール出しまくったり、データ集めや整理、デジタル化などなど・・・。
大変なところもあったが、結構楽みながらやった面もあり。
URL は以下の通り。  覗いてください。
 http://www..jia.or.jp/kanto/seminar

2001年9月 □日
YDF(横浜・デザイン・フォーラム)の集まりに初参加。
今日の会は、ボートで房総沖へ繰り出して、心地よい9月の海風を楽しむ企画。
しかし、風強し、波高しの土曜日で やむなく中止。
近くのシーサイド・マリーナで食事会となる。
昼間から ビールだ、紹興酒だのと、陸で 良い心地となる。
当然、ワールド・トレード・センターの話題に及ぶ。
不謹慎とは思いつつ、お酒の席での話しは ニュースの裏を詮索する方向へゆく。
例えば「アメリカはどこまで、知っていたか・・?」などなど・・。
海には出られなかったが、新しい人と出会った、気持ち良いマリーン・サイドでした。

       

2001年9月 □日
JIA建築セミナーの横浜大桟橋の現場見学会。
SDGの渡辺邦夫さんが、説明の後 引率して下さる。  総勢なんと67名。
柱と梁がまったく無い鉄骨巨大構造。  「まるで、航空母艦だ!」 の声あり。
サンダーバードの基地を思い浮かべたのは、ある年代以上か・・?
スチールパネル@6が鋲打ちで細い骨材に止められて、それが構造材をなしている。
パネルが集まってウエーブとなり、床から登って壁、天井へと連続する。
1階の見上げの天井の波は、駐車場にはもったいない。
来春の完成が楽しみ。
できることなら、今の鉄の塊り風な印象を なるべく強く残して欲しい。
木製デッキとか、行政指導の芝生植えなどが、心配ではある。

それと、昔の大桟橋にあった、どことなくチープでキッチュな土産物売り場も何処かに
入れて欲しいが、これは無理だろうな・・・。
あれって、外国船と横浜の 少しエキゾな雰囲気に良かったんだけど・・・。

       


2001年9月 □日
初秋の箱根路。
仕事なので平日でクルマも少なく、気持ち良くワインディング。
行きの西湘バイパスは、空に夏を残しつつも海の色が見違えるほどあざやかなコバルトブルー。
思わず、PAでひと休みです。
夏の人出も、あれはあれで湘南らしい情景でもあるんですが。
平塚あたり134号線の歩道を、サーフボードを吊って走る自転車の女の娘が
絵になっていたもんです。

 

2001年9月 □日
今日、わかったこと。
酔っ払らって、自転車は乗らないほうが良い。
できれば、横須賀線も・・・。
2001年8月 □日
自転車にも走行距離計があると良いなと思いつつ、
今日は 目標をMM21地区として、一路 桜木町へ。
なるべく坂の少ない道を選んだら、旧1号線ルートとなる。
速いこと、速いこと、50分前後で着く。 クルマより、少しかかるくらいか。
MM21の先、海沿いがあんなに、気持ち良い公園となっているとは知らなかった。
山下公園を 3倍くらい長くした感じか。
レンガ倉庫の新港埠頭から、ヘリポートがある高島埠頭の方までだから
もっとあるかも知れない。
芝生の上で寝転がって、文庫本を手にする。
なんと、健康で充実した休日よ。(自分を誉めてやろう。)
帰りに野毛の「武蔵屋」を再び捜す。 近所の人、数人に尋ねる。
3人目のおばちゃんが教えてくれる。 看板もな〜んも無い。
多分、店が開いていたら、暖簾が出るのだろう。
開いている日に来るのが楽しみだ。

 日本丸と おのぼりさん と化した愛車

2001年8月 □日
嬉しげに、MTBで、休みの日に走り廻る。
新しい環状2号は 歩道が広く、坂も少なくて気持ちが良い。
グリーンベルトも豊かで、今は街路樹の「サルスベリ」が ピンクの花を盛りとしている。
どういう訳か、ラーメン街道と化した一画があって、行列が出来ている店まである。
そんな所を横目で見ながら、鎌倉街道を左折して、上大岡を更に進む。
16号を、阪東橋や曙町など、キレーな おねーさん達がいる所も見向きもせずに、
伊勢崎町から 桜木町方面へ向かう。
野毛で 「居酒屋礼賛」で知った「武蔵屋」を捜すが、見つからず。
今日の走行距離24kmくらいか?
今日の発見。 MTBは夏の日盛りの中でも、汗もかかずに 爽やかに走れるということ。
のんびり走っていれば 常に風をあびていて、とても気持ちが良い。
  花咲町で見かけた「ガス燈」
                 「日本ガス事業発祥の地」 とある
 

2001年8月 □日
友達「S」や「O」に感化されてというわけでもないんだが、
(実は少しあるが、) M.T.B.を買ってしまった。
半分は健康とダイエットのため、半分は交通手段、そして 少し遊び心。
最寄り駅までの往復は、充分に汗をかくが心地良い。
いかに脚腰が弱くなっているかを、思い知らされる。
横浜は坂が多いんです。       頑張るぞ !



2001年8月 □日
友達のS口邸の新築お祝いの集い。
デザインは極力押えて、自然体で作ったとの由。
とんでもない、充分にデザインされていて、住み心地良さそうな住まい。



設計事務所のOFFICE部もあって、必要充分過ぎる建物となっている。
ただ、模型のストックヤードには、「ふざけるな!」の声あり。
建物模型ではなく、すべて趣味のモデル達。
これは、「ねたみ」か「やっかみ」か「羨望」か・・・。  (どれも正解)
奥さんに 「もっと、文句を言ってください」 と 言う。
当然、何でも話し合える仲間の 楽しい飲み会となって、
帰り道は、夜風が心地良い横浜・港南でした。



2001年7月 □日
友人 OH君が 主催する「3世代パソコン教室」が下北沢で開かれる。
ややもすると、急速に進む IT社会の中で、とり残されそうな我々の親世代や、
何をするのが いちばん良いのかを求める 子供達への教室をねらう。
その主旨に おおいに賛成なので、参加する。
今、このジャンルでもっとも弱者となりつつあるシルバー世代は、本当は一番
Contentsを持っている人たちのはず。
その人たちが、あたリ前に情報を発信するネット社会が生まれたら、
今のように稚拙なサイトが氾濫している、などという批判は減るだろう。
また、ネチケットともいわれるモラルも、もっと良い方向へゆくだろう。
今日の参加者は OH君の某M菱関係の先輩方と ぼく達6・3会の仲間と
鹿沼先生、計10数名。
ペルーの友人 SK君とチャットでの会話。
新大統領就任式への遠山大臣訪問中の話などを聴く。
ペルーと日本は時差14時間だとか・・・。
ときどき回線が悪くなったりしたが、チャットは面白い。
これで、世界中にいると思われる 6・3会の連中と会話ができるのでは・・・。

2001年7月 □日
JIA建築セミナー 谷内田章夫さんの担当、夏休み前の折り返し回。
若い人たちの間で圧倒的人気、CASA BRUTUSでは ダントツの売れっ子建築家 
などと、紹介したら 「あれは多分にジャーナリズムが 仕掛けた部分もあるんですよ」と
軽くかわされて、講義に入られた。
「TRINITE」 「CUBES」 「ALTO B」 「SAIZE 2」 などを、スライドと共に紹介してくださる。
海が 5MX5Mの ワイド窓いっぱいに楽しめる 「ALTO」はプロカメラマン達の
自前スタジオの要望で 生まれたサイズとの由。
賃貸の部屋にいた人が、設計依頼してきて、オーナーとなった 「8XH」のお話。
また、ご自宅、ご実家の 実験例や苦労話も 大変興味深かった。
古くから 緑を採りこむ方法を多くとっているが、賃貸マンションでの 
屋上緑化の成功例を示してくれた。
最近、軍艦島へも行って、当時の厳しい状況の中での
貴重な緑のとり込み方の 価値をも述べられた。
前半の折り返しにふさわしい充実したセミナーでした。
受講生は終了後、「打ち上げ」で4次会くらいまで、あったとか・・・。

2001年7月 □日
いわずと知れた JohnColtrane 「My Favorite Things」

いちばん好きなJazzは・・? と問われれば これになる。
アナログのLPは、2枚持っている。
ひとつは1960年の録音で、演奏時間は13分41秒。
油井正一のライナーノーツには
「この頃からコルトレーンの音楽は、長い演奏時間を費すようになった」 とある。
確かに、もう一枚の1966年 Village Vanguard でのLIVE録音盤は 20分55秒。
イントロダクションを含めると、26分以上だ。
1967年没なので、晩年のLIVEとなる。
他にCDも持っているが、これも別な音源録音だ。
普段はもっぱら、CDで聴いている。

          



2001年6月 □日
笠間で「焼きもの」をやってる友人、森田の個展。
東京では 今年初のはず。
オープニング・パーティに顔を出す。
何人か知った方に ご挨拶。
個人的には、こういう場は得意ではないけれど、
なごやかで、華やかで、良い雰囲気の 時間と空間が流れていた。
もちろん、森田の作品と ギャラリー「旬」は、それを作り出す ヒーローとヒロイン。
回をおう毎に、女性が増えている気がした。



ギャラリー「旬」 : 港区南麻布4−2−49
7月1日までです。
焼きもの 好きな人、行ってやってください。

2001年6月 □日
JIAデザイン部会、JIA新人賞を受賞された 椎名英三さんを迎えての一夜。
ご自宅や 未発表の作品も含めた、多くの住宅を スライドで見せていただく。
美しいものと、醜悪なものに対する線引きの明快さ。
戸外でありながら、部屋の延長としての気持ちよいスペースを作り出す巧みさ。
宮脇事務所時代から追い求めていると言われる、「見えないディテール」へのこだわり。
などなど・・・。
特に印象的だったのは、絶対に、最初に使ったとおっしゃるガラスの木端立て。
ぼくは、何年も前に「ディテール誌」で、氏が「床の間」で使われていたのを、
むさぼり見た記憶がある。
今回は、RC打ち込み例を見せてもらった。
縦スリット状に12o厚のガラスを打ち込んだ 廊下壁の写真には、
頭がクラクラっときた。
是非、現物を見てみたい。

2001年6月 □日
最近 「Midnight+1」のBBSで、『ハードボイル度チェック』 が流行っている。
本当のハードボイルド者は、こんなことやるわけないな と思いつつ、試してみる。

『あなたのハードボイル度は52.8%です。
診断の結果、あなたはかなりのハードボイルド者です。
自分を厳しく律する一方、他人のミスを許す事が出来ないため、
その言動を不快と感じる人間も多いはず。
タイプとしては、マーロウ型といったところ。
あなたの周りには敵と味方の二種類の人間しか存在せず、
いわれのない中傷や嫌がらせで気が滅入る事もしばしば。
しかし、どんなときも軽口を叩かずにはいられないクールなあなたは
常に異性の人気の的。
ちょっとナルシストが入っているのがたまに傷ですが・・・。
幸運のカギ:ドクターペッパー』
(原文のまま)

内容はうなずけないことも無いけど、幸運のカギは皆目わからず。
(あ、それと異性の人気もうなずけないか。)
Dr.ペッパーなんて、ここ何年も見たこと無い気がするけど・・・。
BBSに書いたら、あるわあるわ情報が。
BUFFさんは、秋葉原の自販機に有るって言うし、
gabyさんちの冷蔵庫には常備されているらしい。
「海軍カレー」の事といい、やはり、冒険小説好きは不思議だ。

なお 「ハードボイル度診断」は
『レイモンド・チャンドラーの世界』サイトです。

2001年6月 □日
友達の O君 のホームページを訪問。
   ■マックと夜と音楽と■
好みの McCOY TYNER と Macintoch を かけたサイト名。
映画、写真、MTB、ジャズ・・・・と、7つのジャンルがある。
なかなか、センスの良いホームページ。
自分の好みだけで、作るホームページも良いな〜と感じてしまった。
gabyさんの 「Midnight+1」といい、徹底的に「大好き」だけで、
埋めてしまうのも、魅力だ。
それは、インパクトも強いわけだし・・・。

彼は「JAZZ」のなかで、50年、60年代が好きという。
『ジャズは70年代初頭の、「天気予報」と「かもめ」で終わりを告げた、が持論』との由。
すぐに、ひらめいてしまった。 チック・コリアの 「RETURN TO FOREVER」と
JoeZawinul、WayneShorter、MiroslavVitous らの 「WEATHER REPORT」。
メールを出したら、「当たり」の返事。
なぞ解きができたことよりも、趣味や好みを知らないはずの、昔の友達が、
今、共通する興味を持っていることの方が、面白くもあり、うれしくもある。



古いアナログ・レコードのコレクションから、当の2枚を お披露目してしまう。
今は聴くことがない、もっと古いLPもあるので、
この場で ときどき、陽のめを見せてやろうか。
それと、アナログを聴くシステムも 考えるか。

2001年6月 □日
紫陽花の季節だ と バン ・・・


2001年6月 □日
JIA建築セミナー 芦原太郎さんの「計画演習」の 発表と講評。
受講生が持ち寄った 「現代の茶室」は 50人50色。
「いやし系空間」を求めるものあり、日常の中で垣間見る、エアポケット的な空間あり、
また、逆に見慣れた場所を 非日常の世界の入り口としてしまう考えあり・・・。
そんなわけで、たっぷり3時間近く、苦労していない、司会役としては大いに楽しみ、
刺激的なひとときを、過ごさせていただきました。
芦原さん、本当にご苦労さまでした。   ありがとうございました。

優秀作、6点には 芦原さんのサイン入り 作品集がプレゼントされました。
ぼくの 密かなメモとも、いくつかダブっていたけど、中でもダントツの一品は
渡辺さんの 「自己欲求の発散装置・バルーン」。
発想、プレゼンともに、文句なしの 金賞としてしまいます。
ヒントは道路わきの パーキングメーターだそうで、自分の欲望やストレス・・etc.を
バルーンにつめて、空に飛ばし浮かべてしまう装置だという。
欲求が大きければ大きいほど、高く高く揚がるらしい。
どこか、ユーモラスで、誰もが持つ 心の中のたよりなさも表現していて、
とても ヒューマン・スケールな 2.4M角でした。

2001年6月 □日
友人の大井の写真展「おーるどれんずと六人展」へ行く。
はるか、100年前のレンズを使った作品があって、その写りの素晴らしさに驚く。
すべてが ピン角、直線の見事さ。
レンズは Hypergon といって、直径10mmほどの単球だという。
レンズの前には、光量調整のために、プロペラが付いているそうだ。

大井を交えて、東京フォーラムでの六三会(松沢小クラス会)開催となる。
おじさん、おばさん 8人ほどが、ビールで乾杯。
ノートパソコンを持っている人間が2人もいて、ホームページ自慢をしたり、
女性陣に PCレクチャーをしたり・・・。
様々な話題で、気がつけば、あっという間の、お開きの時刻。
なごり惜しげに、西と東に別れました。

牛山は 「来週、人間ドックなので、酒は控えているんだ。」 と言いながら、
カバンから、ウィスキーのミニボトルを次々と出していた。
不思議なカバンだ。 (いや、人か・・・。)



2001年6月 □日
下の「海軍さんのカレー」のことを、「深夜+1」のBBSに書いたら、
Masterのgabyさんより、面白い話がかえってきた。
今年の 日本冒険小説協会全国大会の
オークションに 出品されていた、というのだ。
どうやら、冒険家は カレーを好むらしい。 (ミステリー愛好家も・・・?)
特に、海軍系カレー を・・・!
さらに、BUFFさんは お好み焼き屋で、海軍ビールを見かけたという。
呉の地ビールだという。   氏の推測だと、広島つながりか・・・?

ぜひとも、昼食に、海軍ビール付きで 海軍カレーを食べてみたい。
今日は、無いので、麒麟端麗 でガマンした。
なかなか、美味でした。  肉もちゃんと入っていた。(三浦葉山牛 とある。)
そういえば、今年は海軍道路の桜も見たし、次は、何の海軍ものだろう・・・。

2001年6月 □日
仕事で横須賀へ行く。
港には、相変わらず、潜水艦や軍艦が のったり、まったり。
夜だと、少しはハードボイルの世界に浸れるのかも知れないが、ピーカンのお昼どき。
釣り人や、カップルが の〜んびり の状態。
ぶらついていて 眼に飛びこんできたもの、
ネーミングと パッケージに負けて、思わず、買ってしまった。
なんと、「海軍さんのカレー」。
見ていただければ、わかるでしょう。   
このデザイン、色使い。
たとえ、まずくても、ぜーんぶ許しちゃいます。
食べてみて、うまかったら、また、ご報告です〜。



2001年5月 □日
「深夜プラス・1」 内藤陳さんのサイト。
(と思ったら、実はMasterは、gabyさん。 内藤会長はどこにいるんだろう?) 
My Favorite 「Japanese Mystery」 を見る。
おすすめ10作のうち、5作品は 読んでいる。    充分に満足、 納得。

矢作俊彦氏の「リンゴォ・キッドの休日」が入っている。
なぜか、矢作氏をハードボイルドとして、揚げてくれる人は少ないので、とてもうれしい。
さらに、喜ばしいことに 陳アニィ (と書いてしまいます) は
 「マイク・ハマーへの伝言」は、リアル・タイムで読んでないという。
「今、読んだから、良いのかも・・・。」 なんて、のたまう。
そんなの、嘘、うそ。      悔しくて、 たまんないはず。
「読まずに、死ねるか ! 」 以前の問題だ。
ぼくは、はるか22年前に、読みました。   
ときに、自分の青春を、思いながら・・・。  
サニークーペで、山手の尾根道や、本牧のゲート前を走ったこと、ありますか。
多摩川から先は、川向こうで、イモが 住んでんだぜー。
本牧のフェンスの中の芝生や、ペンキ塗りのハウスは、
自分の目で確かめなくては、わかるもんじゃない。  
(陳アニィ、羨ましいだろー)

頭が下がるのは、陳アニィは 「My Favorite」は全て、
数回以上、繰り返し読んでいるという こと。
矢作氏の作品は、全部読んでるつもりだけど、一度読んだら、本棚に並べっぱなし。
まずは、「マイク・ハマー 」 から読みかえそう。  
だけど、読みたい本は次々、出てくるし。  gaby氏お勧めの、残り5作も読みたいし・・・。

やはり、矢作俊彦氏は日本のハードボイルドのトップだ !!
次は、「Foreign Mystery」 いくぜィ。    D・E・Wが待っている。



帯の 「絶賛 氏」 わかりますか?  
なんと、西村寿行 と 宇崎竜童だ。   時代です。

2001年5月 □日
JIA「建築セミナー」   今年度のプログラムの開始。
芦原太郎さんの「計画演習」の第1週目。   課題は「現代の茶室」。
茶室といっても、茶道本来の茶室を求めるのではない。
いかに、日常の既製モダン空間から、離れた茶室を作れるか、提案できるか、
また、それに至る思考プロセスを競う課題。  再来週の提出日が楽しみ。

講義前に、北山さんや、大野さんから聞いていた、「戸○高校」のコンペのその後が
知りたくて、少し水をむけてみる。
あまり、多くは答えてもらえませんでした。



2001年5月 □日
仕事で箱根へ行く。  敷地を見て、役所めぐり。
みごとに、関係役所は 箱根中に散らばっている。
これほど短時間に、天下の剣を走りまわったことはない。
あわよくば、日帰り温泉にでも・・・ なんて考えは、甘っちょろかった。
昼食時間も 満足にとれず状態。
最後は小田原で、2個所を訪ねて、帰途に。
天気も良く、新緑が美しかったので、本日のドライブ(?)は丸。
帰りは、西湘バイパスから、134号線を 渋滞もなく走行。
思わず、SouthernAllStarsの CDを かけてしまった。
おじさんも湘南を走るときは、サザン なのですよ !!

2001年5月 □日
JIA(日本建築家協会)「建築セミナー」の開校式。 
今年は「建築塾2001」のサブタイトルあり。  新受講生は50名。
  
内藤廣さんの記念講演あり。
講演の中で、印象に残ったことばは、
「本当に伝えたいものは、伝え難いものである。
       伝わりやすいものは、本でもネットでも可能。」
伝えやすいものの例としては、 ・かたち ・論理 ・バーチャル ・ネット
伝えにくいものとしては、     ・空間 ・身体 ・心 ・リアリティ

「建築セミナー」に参加することは、その伝わり難いものを
得るための BEST な手段だ。
 
2001年5月 □日
銀座 イトーキ・ギャラリーの「階段展」に行く。
平倉直子さんの、ガラスの段板が良かった。
帰りに、数軒隣りの「ギャラリー新居」に、東松照明の名前があったので、
ふらっと入る。
「さくら 桜 サクラ」と 題した写真展。
「階段」より、気持ちが和んだ。
と言ったら、怒られるか・・・。

2001年5月 □日
ここのところ、ホームページの更新に励んだ。
あわせて、さまざまなホームページの探索も行った。
いろいろと、教えていただいたり、元気をもらったり。
皆さん、ありがとうございます。
「F建築ふぁーむ」さん、「ARCHITECTURE PROBABLY」さん、
「本気で家を建てる人のためのHP」さん、「ぽむ企画」さん・・・・・
これからも、どうぞよろしくお願いします。

2001年5月 □日
海を見ながら・・・
ひとり もの思いの・・・



2001年5月 □日
「ハンニバル」を観て。

この既視感はなんだろう。
スタートと同時に、一度観た映画を、また観に来てしまったのか、
という不思議な感覚がしばらく続いた。
映像がほとんど、頭のなかにあるものと一致している奇妙さ。
そんな筈はないことを、何度も反芻した。
映画の予告編は、観た記憶がないし・・・。
だいぶ前になるが、原作本を読んだことしか、思い当たらない。
本が先で、映画が後のパターンは、いつものこと。
しかし今回ほど、活字が映像に、みごとに置き換えられていることは無かった。

最後が、予想とは大きく違っていた。
しかし、映画とは異なる映像が、しっかりと頭のなかにある。
ラストシーン近くで、レクターとクラリスの2人が、
レストランか、劇場で共に行動している姿が、眼にやき付いている。
クラリスのしなやかなドレス姿まで憶えている。
いまだに、この記憶の映像は同じ原作からきているのか、おぼつかない感じ。
そして、もしこの記憶が正しいなら、ラストは原作の方が良い。
映画の続篇のため、というなら本の通りにしておいても、
充分にやれると思うのだが・・・。(やはり、映画のほうが、イージーか・・・。)
これから、本を開いて、確認しなければ・・・。

2001年4月 □日
JIA デザイン部会
連健夫さんの、スライドを交えてのお話。
ブラジル、マレーシア、シンガポールでの「バナキュラーからの変換」がテーマ。
バナキュラーの認識、評価、とりこみのテクニックがうまい。
勉強させてもらった。

2001年4月 □日
建築三粋人の「東京現代建築ほめ殺し」を読む。
それなりに面白いんだが、少しだけ、違うかな・・・、 どこだろうか。
「学会賞作品篇」は・・・、   ふ〜ん。
「大江戸東京博物館」は写真は出ているが、俎上にはのせてないみたい。

2001年4月 □日
「高齢社会の住まいをつくる会」設立シンポジウムに行く。
案内をくれた、中村陽子さんが司会をされていた。
多くのバリアフリー住宅設計者の、有意義な話を聞く。
発起人の吉田紗栄子さんの
「世界一長寿の国、日本の住宅の寿命が一番短い」という言葉は印象的。
朝日新聞で連載をもっている、大瀧雅寛さんの仕事、
マンション内部の、実例を示してのお話は興味深かった。

2001年4月 □日
「ぽむ企画」ホームページを発見。
おもしろ楽しい。
「けんちく雑誌かんそう」と「ぽむ月評」は秀逸。
内藤廣さんは、「ラテンまったり・・・」が気にいったんだろうか。

2001年4月 □日
仕事で座間に行く。
帰りに、少し時間はかかるが、「海軍道路」を通りぬける。
すごい名前だが、これが素晴らしい桜並木。  しかも一直線。
地図で見ると、見事なくらい、定規で決めた道路だとわかる。
3Kmに、150m35cm足りないだけだった。
(おいおい! はかったんかい!)
(自分でつっこみを入れる・・・最近、読んでる本がいけないようだ)
田園地帯に菜の花と、桜のトンネルが、素晴らしい。
クルマで通り抜けるのは、もったいないんだが、
よく出来たもので止める場所は無し。

2001年3月 □日
大学の阿久井先生の退官記念パーティ。
多数の卒業生が集まっていて、先生のゴキゲンな様子。
久しぶりに、軍艦島の模型と写真に接する。
島の建物だけでなく、生活、産業すべてにわたっての、一時代の日本の凝縮。
その事実、および資料の迫力。
岩波書店刊「軍艦島海上産業都市に住む」を購入。



2001年2月 □日
Nikomat EL を手に入れる。
アーキドラマで 使わなくなって、ほこりをかぶっていたものを、もらい受ける。
思えば、はるか20余年前、鈴木さんから任されて、ぼくが、神田で購入したもの。
電池を入れ替えると、露出計が生き返る。    反応が少々にぶいが使えそう。
裏蓋がガタついていたり、スポンジがへたっているのが、少し心配だが、試し撮りをする。
これが、見事な出来栄え。  シャープなのには驚いた。 
さすがはNikonか・・・。
いきなり充実して、Bodyが2台と、レンズが6本になった。
これで、ファインダーが、グリッド・スクリーンに替えられると
申し分ないんだが、まだ未達成。



2001年2月 □日
某N本設計の仕事 終了。
お世話になりました。O野さん、H瀬さん、N岡さん。
ホテル・E の進み具合を、近くを通るたびに見せていただきます。

2001年1月 □日
仕事から帰っての遅い食事どき、ニュースステーションで古い友人の顔を見る。
ボルネオ特集の案内、通訳その他・・・ 役だという。
昨年暮れに放映予定だったのが、今年に繰り延べになったそうだ。
しかし、彼のバイタリティには感心する。
やつを、最初にテレビで見たのは、もう何年も前のキャメル・トロフィのラリーだった。
お互い、元気にやろう、と言われているようで嬉しかった。
おれも頑張るぞ、卜部君。




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