雑 記 帳


身のまわりの、気にとまったこと、目にしたことを、書き留める。
日記となるのか、ひとり言となるのか・・・。

by 河野 正

2005年(1月〜  )

2006年


2004年
(7〜12月)



2005年12月□日
模型を作るのばかりでは、なんなので・・・3Dを作ってみた。
わりかし、簡単に作れた気がする。
慣れれば、模型よりかなり早いだろう。

  


2005年12月□日
村上龍の「半島を出よ」を読んでいる。
実に面白い。 
そんななか、偽「yahoo」HPを作った奴が、
「中国軍 沖縄に侵攻」との記事を載せたという。
こいつも、これを読んでいたのだろうかと思ってしまった。
きっと、考えすぎだろうな・・!


  
2005年11月□日
これは、ヤバイ粉ではない。
阪根君の講演会でお土産にもらった「アンデスの岩塩」である。
なんと4000m近い高さの、アンデス山中で採れる塩である。
舐めると少し甘みがある。
赤い実は「福」を呼ぶという、「幸福」のお土産。


  


2005年11月□日
「丸の内カフェ」にて、ペルーの「天野博物館」の阪根博氏の講演会。
アンデス、インカ、ナスカ・・・・気分は南半球。
一度は行ってみたい。
最後に質問してみた。
「某大統領は、日本のマスコミで評判があまり良くないのですが・・?」
 答は、予想に反してというか・・・
ペルーの一般人の間では、すこぶる評価が高いらしい。

阪根君は小学校の同級生だったりする。


2005年11月□日
本田美奈子さんが亡くなった。
昨年のクリスマスには ステージを、見、聴きした。
復帰コンサートがなくなってしまった、とても残念で 悲しい。

ご冥福をお祈りいたします。

2005年11月□日
今年も、もう こんな季節になってしまった。
というより、このお店は1年中この感じだ !
どうやら、クリスマス用品の専門問屋さんらしい。
ということが、最近わかってきた
馬喰町問屋街界隈の 今日この頃です。

  


2005年11月□日
石田衣良の「アキハバラ@DEEP」を、読みはじめた。
アキバに行きたくなって、日本橋の現場から廻ってみる。
例によって中央通りを渡って、PCパーツ街を歩く。
俺コン、
SUCCESSツクモ、Sofmapなどを見ながらひと周り。
帰りに新しくできたヨドバシで、A5ノートPCのケースを買う。


  

2005年11月□日
日本橋堀留現場 14階上棟 配筋検査

  
  

2005年10月□日
矢作俊彦の「あ・じゃ・ぱん」やっと読み終えた。
今まででこれほど長くかかった本はなかったろう。
これは矢作の、政治小説の部類なんだろうか、ハードボイルドの方なんだろうか。
「スズキさんの休息と遍歴」「ららら科学の子」と同じく政治方面だろう。
そして「ロング・グッドバイ」も同じ部類と言ってしまおう。
「気分はもう戦争」も、そうかもしれない。
「あ・じゃ・ぱん」を読みながら、これは作者自身が楽しみながら書いているな・・。
たぶん、「気分はもう戦争」のノリだなと、何度か思ったものだものだ。

  


2005年10月□日
久しぶりに 馬券を買いに行ってしまった。
あまりの人気なので、ディープインパクトから
数枚買ったけど 全部はずれた。

  

 10月23日 京都 11レース 菊花賞 

2005年10月□日
最近の「りんご」は元気が良い。
渋谷の公園通りの「りんご」も 魅力的で、
ついつい入ってしまう。
i−pod nano に さわって、
欲しくなってしまう。

  

  

2005年9月□日
クレイジー・ケン・バンドのチケットを入手した。
スタンディングのライブというのに初めて行った。
気持ち良かった。
おじさん、おばさんも いっぱいいた。
もちろん若い人も・・

  


2005年9月□日
デジタル一眼レフを購入してしまった。
早速、港方面にテスト撮影行。
解説書は読んでないので、ひとまずは Auto。
夕暮れどきで、露出補正を試みる。
鮮明さに感動。
そして何より、シャッターがデジタルと思えない速効性と触感。
すこぶる良し。


試し撮りカットをクリックすると拡大します。
いずれもPC上での画像処理は無し。
500pix、幅7cmに調整のみ。

  


  


  


2005年9月□日
9月に入ったけど、まだまだ暑い。
湘南は鵠沼のバス通り。
水着姿の若者が、自転車にボードを積んで走る。


  

2005年8月□日
吉田修一 『ランドマーク』
コンペで勝ちとったという「スパイラル」の設計事務所の担当者と、
その現場で働く鉄筋工が主役。
彼らの妻や、彼女や、職場仲間が登場するが、
その人間たちが、みんな本音を語らない。
廻りの状況や推測で読み進むしかない。
さしたるヤマもなく、坦々と終わってしまう印象。
ただ痛快なのは、ヘルツォーグ&ド・ムーロンだとか、槇事務所、
ライト、磯崎新など、建築家名がぽんぽんと出てくる。
ビル現場の スラブしかなくて、廻り抜け抜け状態であろう
様子も、よく表現されている。
表紙と題名が気に入って買った本。
一緒に購入した『東京湾景』は、多分すぐには手にしないだろう。

  


2005年8月□日
JIAデザイン部会
JIA新人賞の藤本壮介氏の講演
「伊達の援護寮」について、写真ではなかなか表現しきれない、
設計者ならではの話しを伺う。
例えば、このカメラ位置から3歩前で階段が見えてくる、
とか、ゆっくり進むと建物自体のつらなりが面白く変化するとか・・。
そして、何より 「援護寮」を設計している最中は、
北海道に引っ込んで、結構滅入った状態でいたとか・・。
そんな打ち明け話しも聞いてしまった。
デザイン部会の講演の良いところは、本音で語ってくれるところだ。


2005年8月□日
伊勢佐木町の先、黄金町に近いところに「横浜日劇」という
映画館がある。
残念ながら今年の2月に閉館となっている。
雰囲気がとてもいい。
色あせた古いポスターとともに、雑然とした周囲の街並みに、
違和感なくとけ込んでいる。
おそらく、あと数ヶ月で消えてしまうことだろう。
横浜には こんな映画館がよく似合うのだが・・。

     

出来ることなら、裕次郎の映画を この小屋で観たかった。


2005年7月□日
エド・マクベインが亡くなった。
もう、 「87分署」が読めなくなる。 
とても悲しい。
スティーブ・キャレラはどうすればいーんだ !

  
 
左から 第一作『警官嫌い』、第二作『通り魔』、第三作・・



2005年7月□日

六本木にて
友人、森田の個展 「創器展」
去年は行けなかったので久しぶりになる。

  


2005年7月□日
新規計画と言いたいところだが、
実現しない建物となってしまった。
2階リビング、2階バルコニー、2階浴室・・
2階からの眺めの良さを生かした住宅計画だったのだが・・


  


2005年7月□日
新宿西口 思い出横丁、
昔はションベン横丁と言った。
某日、昼食どきに 中華屋のカウンターで
「ニラレバ定食」を 注文したと思ってください。
右のオニーさんも、左のおじさんも、向かいの2人連れも
みんなビールか、紹興酒(?)を飲んでいる。
昼だけど、誰もご飯を食べていない。 
ここは、そーゆートコロ。
ぼくは仕事中なので・・・。
また、夜に出直そう・・。


  


2005年7月□日
箱根のポーラ美術館。
芦ノ湖での「研修」の後、立ち寄る。
前に来た時は建物しか見なかったので、
今日は展示作品を見るのが目的。

トシのせいだろうか、印象派がとても良く感じるようになってきた。
以前は、何か興味の対象外に置いておいたような気がする。
モネの「池」の緑が美しい。


  


2005年6月□日
  仕事で、 逗子披露山公園へ行く
  
  逗子マリーナごしに、江ノ島をのぞむ

  



2005年5月□日
  計画中の住宅

  

  


2005年5月□日
神谷バーの電気ブラン

浅草「三社まつり」に行った娘の おみやげ

  


2005年5月□日
アーキドラマ設計 成増のマンション

  

吹抜けに面するバルコニーが良い

  


2005年5月□日
CDショップで、1本 1500円 
3本まとめて サンキュッパッ というのを見かけて
ついつい 手が出てしまった。

今日の新聞広告には、1本 500円というのが出ている。
「市民ケーン」 などが目に入る。
うーん、 困ったものだ。

  


2005年4月□日
アーキドラマ設計 松原のマンション見学

ぼくにとって 懐かしいところに建っている。
赤松公園のすぐ近く。
M君のゴルフ練習場も近い。

  


2005年4月□日
日本冒険小説協会 日本部門大賞
見事、  矢作俊彦 「The Wrong Goodbye」 が受賞
とても 喜ばしい 
矢作さん おめでとうございます。

http://www.aisa.ne.jp/jafa/


2005年4月□日
映画「ローレライ」を観る。
「もったいない」のひと言。
期待はしないで行ったのだが、福井晴敏の本「終戦のローレライ」とはまったくの別ものだった。
いかにもCGを駆使しました という戦艦シーンはもういい。
そのエネルギーの半分でいいから、ローレライを作りこんで欲しかった。
せっかくのストーリーがもったいないじゃないか・・。
こんな文句を言いながら、きっと「亡国のイージス」も観に行くだろうなあ・・


  


2005年4月□日
  港区 乃木公園の桜

  


2005年4月□日
  空を超えて  ららら  星の彼方
  ゆくぞ  アトム  ジェットの限り
  こころやさし  ららら  科学の子
  十万馬力だ  鉄腕アトム

  


2005年4月□日
矢作俊彦「ららら科學の子」 
なんでこんなに矢作俊彦が好きなんだろう。
同時代の作家ということが大きいのだろうか。
いやそれだけではない、氏が創り出す雰囲気、
言葉の感性が ぼくにとって魅力なんだろう。
「マイクハマーへの伝言」「暗闇にノーサイド」
「神様のピンチヒッター」の頃から一貫している。

今度の「ららら科學の子」は格別の想いがある。
登場する、場所は、すべてを身近に知っている。
しかも「彼」と同じく30年前の方を、より多くリアルに。
東急のプラネタリウム、井の頭線駒場東大前周辺の風景、
玉電の踏み切りから続く商店街。
数えあげたらきりがない。
それより何より、「彼」のことも知っている気がしている。
ネット上ではあまり書くべきことではないが、
「彼」は何人もいるのだはないだろうか。
そう、「エシュロン」のサイト監視なんてのは 
常識だろうから、これ以上はやめにしよう。

H君は帰ってきたのだろうか。



  



2005年3月□日
     桜が ちらほらと・・・

  


2005年3月□日
「TheWrongGoodbye」の次の矢作俊彦。
前後はするのだが、「ららら科学の子」に突入。
これが良い。 実に良い。
まだ読み終わらないが、終わるのが勿体なくてたまらない。
東急文化会館のプラネタリウム、世田谷区役所、玉電・・・
うーん、きりがない。
今日はエーリッヒ・ケストナー作
「点子ちゃんとアントン」を買ってきてしまった。


  


2005年3月□日
丹下健三氏が亡くなる。 享年91歳。
日本の建築界を切り拓いた人。
今朝の朝日新聞は かなりの紙面を割いて紹介していた。
しかし、TV報道では一言も触れられず仕舞い。
所詮、日本での建築家の認識とはこの程度のもの。
国によっては、葬儀に公が参画しても 
不思議はないとも思うのだが・・・。
いや、決してそのようにして欲しいわけではない。
建築界にあっては、国際的に そのくらいの人だということだ。


2005年3月□日
マンションの軽微な設計変更、12条3項報告で中央区役所に行く。
1階ロビーで「平和への想い」と題して展示会をやっている。
戦時下の東京の写真が目にとまる。
そう言えば、今日は3月10日東京大空襲の日。
なんと東京下町を中心に8万8千人の人が亡くなった。
中央区はそのど真ん中であったであろう。
印象的な写真、戦後の銀座と思われる焼け野原の中で、数人の男性が穴を掘っている。
少し離れた道路を談笑しながら歩く米軍人達グループ。
その水兵服が異様に白くて道の上に浮いているように見える。
そんなことはないのだが、勝者が浮遊しているような不思議な絵だ。
また、防空壕前にたたずむ一人の男の子の写真。
脇に立つ板の文字を読んで、当時の日本の異常さを思い知る。
「公共退避所」 『6人生式』と、ある。


2005年2月□日
最近の表参道とか、銀座は すごいことになっている。
世界中のブランド品のオンパレードって感じだ。
当然その「ウツワ」もかなりのもんで・・・

そんな中、けなげに頑張っている「リンゴ」を見かけた。
「リンゴ好き」にはたまらない逸品だろう!
「Win」な人間が見かけた銀座でした。

  


2005年2月□日
節分、今年一番の寒波
春まだ遠し
陽だまりのスィートピー

  


2005年1月□日
矢作俊彦の「THE WRONG GOODBYE ロング・グッドバイ」を読む。
数ヶ月前に買っていたが、もったいなくて なかなか手を出せないでいた。
読み始めてからも 大事に大事に、とろとろと進んだ。

矢作氏は最後の2ページが書きたいがために、591ページの小説を書きあげたんだと確信する。
「日本シリーズの中継」も、「新築なった神奈川県警」も、「日本大通りの地下鉄工事」も、
「背番号3」も、「20世紀最後の・・」も、  みんなこの2ページのためだ。
ビリーにも、海鈴にも、友田にも、ヤマトにも、由にもグッドバイして 
ひとりだけになった二村。
おまけに刑事にも グッドバイ しちまった。
そしてアメリカに Wrong Goodbye だ !

さて、それでは マーロウ 方面に行くとしようか
・・


   

2005年1月□日
ほんの半月ほど前に、誘われて新宿文化センターで
クリスマス・コンサートを聴いた。
「アメィジング・グレース」 「ジュピター」・・
細い身体だけど元気いっぱいな、本田美奈子と感じたのだが・・

骨髄性白血病で緊急入院だという。 一日も早い全快を祈ろう。 
そうしたらもう一回聴きに行ってやろうか。

   


2005年1月□日
友人の藤原君の作品展に行く。
彼とは中学の同窓で、数年前の同窓会で数十年ぶりに再会した。
よもや建築設計をしているとは思わなかったが、
彼のほうは知っていたらしい。

住宅、マンション、医院、レストラン、ペンション、老人施設と、
みな力作揃いで、とても気持ち良い展示スペースとなっていた。

古い友人が別々な道を経て、ある日 同業であることを知る。
そいつが良い建物を作っているとわかると、嬉しくなってしまう。

25日まで開いてるそうなので、近くの方は足を運んでください。
上野毛の「キッチンハウス」ショウルームにて、です。

  


2005年1月□日
映画「レディ・ジョーカー」を観る。
映画と原作を比較してもはじまらない。
それぞれを楽しむべき。  
だけど、感想をひとつ、ふたつ・・。
渡哲也の存在感は大きい。 おおき過ぎるくらだ。
合田刑事が若いのには、かなり不満。

高村薫の原作を読んだのは 7年ほど前。
その頃、蒲田近くで仕事があって、小説の舞台である
糀谷、萩中、羽田あたりに毎日のように通っていた。
読みながら 蒲田の町工場の独特な鉄の臭いをかいでいた。
映画でどのくらい あの鉄のニオイが感じられるか、
楽しみではあったが、それは無理だった。

もう一度、原作を読み返そう。
そして、蒲田に行って 一杯飲りながら
白いスニーカーの刑事を待つとしよう。


   



2005年1月□日



あけましておめでとうございます

今年もよろしくお願いいたします

     
     
      

今年は「酉」
光る大空に飛翔する・・・・




2006年


2004年
(7〜12月)






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